任意整理の開発
国内の様々なオープン市場や海外のユーロ円市場などの発達に伴い、日本銀行がコントロールするコール・手形レートとそれらの市場レートとの間に一時的にせよ飛離が生じますと、大量の資金移動が発生するようになってきました。
したがって、日本銀行としてもコール・手形レートを特定の水準に固定化することはもはや不可能であり、市場の需給に応じてレートを速やかに変更していく必要があると強く認識するようになったのです。
日本銀行は一九八八年(昭和六十三年)十一月に金融調節方式の変更を発表しました。
この新金融調節方式により、コール・手形レートのうち従来どおり「気配値」(短資会社が毎朝、市場の地合いを見て提示するレートのことです)を設定するのは、一週間未満のコール取引(有担保取引)のみになりました。
一方、無担保コール取引(期間はオーバーナイトから一年です)と手形取引(期間は一週間から一年です)については、「気配値」が廃止され、市場参加者のオファー・ビッド制による金利決定方式へと移行しました。
一週間を超えるコール・手形レートについては、相対型のレート・コントロールをやめて、市場の需給による決定にゆだねようとしたのです。
さらに一九九○年十月以降、残された有担保コール取引についても「気配値」が廃止され、オファー・ビッド制によるレート決定にほぼ全面的に移行しました(有担保コール取引のうち小口取引については「気配値」制が存続しています)。
このように説明すると、皆さんは日本銀行による短期金融市場金利のコントローラビリティーに不安をおぼえられるかもしれません。
そこでもう一度、日本銀行がどのようにして短期金融市場の金利を決めるのかという基本に立ち戻ってみると、日本銀行の力の源泉はハイパワード・マネーの独占的供給者としての地位にあることに気づかれるはずです。
金融の自由化・国際化がどれだけ進んだとしても、日本銀行はハイパワード・マネーをコントロールする力を失いませんし、したがって短期金融市場金利をコントロールする力も失いません。
日本銀行にとって大切なことは、従来のようなコール・手形市場を舞台とした相対的な調整力にいつまでも依存するのではなく、短期金融市場の重要な参加者としてハイパワード・マネーの需給自体のコントロールを心がけていくことなのだと思います。
ところで、日本銀行がハイパワード・マネーを積極的にコントロールしようとする場合に、制約条件となるのは、すでに第V章で説明したような現在の金融調節の方法(日本銀行が「積み最終日」の面倒を完全にみる方法)だと考えられます。
したがって準備預金の積み立てのリスク(一一言い換えますと、日々の資金繰りのリスク)を市中金融機関の側が負い、それにつれてある程度の超過準備を持つようになることが、日本銀行がハイパワード・マネーを積極的にコントロールするための条件といえます。
ただし、こうした考え方には当然のことながら反論があるでしょう。
それらのうち最も有力な考え方は、市中金融機関サイドに準備預金積み立てのリスクを負わせることが市中金融機関に余分のコストを負わせ、さらには信用制度の安定性にも重大な影響を及ぼしかねないというものです。
また、現在のような金融調節方式の下でも、日本銀行は自らの意図するコール・手形レートの水準についてのシグナルを市場関係者に送ることによって実際のレートをコントロールしうると考える人もいます。
金融機関の基本的な業務は、預金を受け入れ、それによって得た資金を貸出に回すことです。
事実、銀行のバランス・シート(貸借対照表)を見ると、負債の中で最も大きいのは預金であり、資産の中で一番大きいのは貸出であるという姿は今も昔も変わりません。
ここで日本の預金・貸出市場の規模の目安として、全国銀行(都市銀行、地方銀行、第二地方銀行、信託銀行、長期信用銀行の総称です)および信用金庫を合計したベースで、一九九四年(平成六年)十一月末の残高を見ると、預金(ただし、金融債・信託元本を含みます)は七三九兆円、貸出は五七四兆円という巨大なものです。
ここでは、そうした預金・貸出市場の金利が、先ほど説明したようなコール・手形レー預金市場は、様々な金融市場の中で最も自由化の遅れた市場の一つであり、第二次世界大戦後長い間にわたってほとんどの預金金利が規制下に置かれてきました。
その内容を具体的に見ると、一九四七年(昭和二十二年)に臨時金利調整法(しばしば臨金法と略称されます)が制定され、預金金利についての最高限度が定められました。
臨金法による預金金利の最高限度は、常に市場実勢を下回る水準に設定されていたので、預金市場では金融機関による預金取入意欲が企業や家庭の預金保有を常に超過し、金融機関同士で激しい預金獲得競争が繰り広げられてきたのです。
皆さんは、金融機関の窓口で石けん、ティッシュ・ペーパー、子供のおもちゃなどをもらった経験があるはずですが、預金金利が規制されてきたことの裏返しなのです。
さて、預金金利の最高限度は、公定歩合と密接な関係をもって変更されてきました。
預金金利の変更は、まず大蔵大臣が発議し、それに基づいて日本銀行政策委員会が金利調整審議会に諮問します。
その答申に基づいて日本銀行政策委員会が預金金利の最高限度の変更を決定するという手順になっています。
また、日本銀行は、この最高限度の範囲内で三ヵ月、六ヵ月、一年といった期間別の預金細目金利をガイド・ラインとして公表し、各金融機関が実際に顧客の預金に適用する預金金利となっています(後で説明する預金金利の自由化は、基本的にはこうした臨金法による規制が適用されない預貯金の範囲が拡大されることを意味しています)。
なお、郵便局の貯金金利は、別途に郵便貯金法に基づいて郵政大臣が郵政審議会に諮問し、その答申を受けて閣議で決定される仕組みになっています。
民間金融機関の預金金利と郵便局の郵貯金利とのこうした二元的な決定方式は、これまでしばしば両者の対立を招き、公定歩合の機動的な変更を阻む要因となっています。
預金市場は今日においてもなお金利規制が部分的に残されていますが、最近の(ことに昭和六十年代に入ってからの)預金金利自由化の進展にはめざましいものがあります。
そこで、これまでの預金金利自由化の過程を整理しておきます。
まず、外貨預金は一九七四年(昭和四十九年)九月に臨金法による金利規制の対象外とされ、外国政府・外国中央銀行および国際機関から受け入れる非居住者円預金も一九八○年(昭和五十五年)三月以降、金利が自由化されました。
次いで、短期金融市場の一つとしてすでに紹介したCD(譲渡性預金)が一九七九年(昭和五十四年)五月から自由金利の預金として発行開始になりました。
CDの発足当初は、発行枠は自己資本の一○%、最低発行単位は五億円、期間は三ヵ月以上六ヵ月以内といったかなり厳しい制約が課されていたのですが、これらの制約条件は、その後段階的に緩和、最近では、発行枠は撤廃、最低発行単位は五○○○万円、期間制限は二週間以上五年以内さらに一九八五年(昭和六十年)十月には一口一○億円以上、期間三ヵ月から二年の大口定期預金について金利が自由化されました。
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